CDその2は第6巻「琉球欽定楽譜湛水流」ならびに第10巻「翻刻 欽定湛水流工工四」の附録音源です。2冊用の共用テープになります。本の内容はどちらも湛水流の楽譜(工工四)ですが、第6巻は盛彬による声楽譜と詳細な記号の書入れがあります。一方第10巻は盛彬の祖父であり師である山内盛熹が国王尚泰より賜ったという欽定工工四の写しです。第6巻は盛彬曰く30部しか作ってないそうで貴重書となっていますが慶應義塾大学三田図書館などに蔵書されています。
オープンリールのパッケージには以下の文言が記されています。
― Y集 琉球欽定楽譜湛水流 吹込1966年2月19日 唄三線山内盛彬77才 −
冒頭の解説をトラック1とし、また揚作田節の下出しと揚出しを別トラックとしたため、盛彬の肉声による読み上げ番号とトラックナンバーがずれておりますのでご了承ください。なお第6巻に附録として収録された楽譜集(湛水流以外のもの)の楽曲はテープには収録されていませんでしたのでCDにも収録されておりません。
また、第6巻付録として「記録映画」も販売されていました。山内家にはこの3分程度の無声8mmビデオフィルムが残されていました。この映像に音源を復元して本CD付属のDVDに収録しています。三線の音源は復元できましたが盛彬の話す内容は不明のため、前後の文脈から当てはまると思われる音声のみ付け加えております。リップシンクが合っておりませんのでご了承ください。
湛水流奏法の解説 記録映像1966年(昭和41年)
調弦、嬰陰旋法(≒音階)、右手奏法の掛音・列弾・小音・抜音、左手奏法の打音・3打音・2打音・掻音・一分掻音、唱法の付け言葉・自然発声・突兀としたメロディ変化・吸音・タイム(タイミング)、また揚作田節の逆行進行について説明。
※一分掻音(イチブカチウトゥ):”一分”とは工工四のマスの間を10分割したうちの1つの短い時間のこと
※当流:ここでは野村流のこと
※逆行進行:三線のメロディが音程を上昇していく時に声のメロディが音程を下降していく等、三線と声の上昇・下降が互いに逆行して曲が進行していくこと
⇩試聴音源⇩
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【02 作田節 Tsikuten Bushi】 以下琉歌・歌詞・歌意は第6巻より引用(明確な誤字脱字は修正)
琉歌:九重のうちに 莟で露待ちゅす うれしごと菊の 花どやゆる
歌詞:くくぬYいぬうちに つぃぶでぃつぃゆまちゅすぃ ツォンツォン Yイヤ ンゾォ
Kukunuyinu uchinyi tsibuditsiyu machusi tsontson yiya nzo
うりしぐとぅきくぬ はなどぅやゆる ツォン ヤ ツォンツォ ヤ ツィクテンテンツィク ヤ ンゾヨ
Urishigutu kikunu hanadu yayuru tson ya tsontso ya tsikutententsiku ya nzo yo
(繰返)うりしぐとぅきくぬ はなどぅやゆる ツォン ヤ ツォンツォ
Urishigutu kikunu hanadu yayuru tson ya tsontso
歌意:殿上で、時至らば咲き誇ろうとして露を待ちうけているのは、それはお目出度いうれし事を聞かしてくれる菊の花である。(聞くと菊が縁語になっている) 王室の繁栄を祈る歌
※「菊」の発音はそのまま「きくkiku」であり「ちくchiku」ではないのが湛水流での特徴である。
【03 早作田節 下ゲ出し Hayitsikuten Bushi Saginjashi】
琉歌:深山鴬の 節や知らねども 梅の香ひしちど 春や知ゆる
歌詞:みやまうぐYいすぃぬ しつぃやしらにどぅむ ツォンツォン
Miyamauguyisinu shitsiyashiranidumu tsontson
ん’みぬにをぃしちどぅ はるやしゆる ツォン ヤ ツォンツォ
N’minuniwishichidu haruyashiyuru tson ya tsontso
歌意:深山に住む鴬は、春の季節を知らないけれども、梅の香いをかいで春を知って啼くのであろう。
※「梅」を楽譜通り「んみn’mi」と表記したが実際は口を閉じたまま歌い出すので「m’mi」の方が近い。ひながな表記で表現するなら「うむみ」と書いた方が直感的かもしれない。
※低音部から歌い出すので「下げ出し(サギンジャシ)」といわれ、前曲「作田節」に続いて演奏されるチラシ。
【04 早作田節 揚ゲ出し Hayitsikuten Bushi Aginjashi】
琉歌:走り川の如に 年波は立ちゅり 繰り戻ち見欲しゃ 花の昔
歌詞:はYいかわぬぐとぅに とぅしなみはたちゅYい ツォンツォン
Hayikawanugutunyi tushinamiwatachuyi tsontson
くYいむどぅちみぶしゃ はなぬむかし ツォン ヤ ヤ ハYイ ツォンツォ
Kuyimuduchimibusha hananumukashi tson ya ya hayi tson tso
歌意:人の年の流れは早いもので、恰度急流の川の流れのようだ。せめてこの人生を繰戻して若い花の時代を再
び味うことはできないものか。
※高音部から歌い出すので「揚げ出し(アギンジャシ)」といわれ、こちらも「作田節」のチラシ。
【05 首里節 Shuyi Bushi】
琉歌:ませこまて居れば ここてるさあもの 押す風とつれて 忍でいらな 里が番所
歌詞:ましくまてぃをぅりば くくてぃるさあむぬ ハYイヤマタ ハナヌサトゥヌシヨ
Mashikumati wuriba kukutirusa amunu hayiyamata hananusatunushiyo
うすかずぃとぅつぃりてぃ ハYイヤマタ しぬでぃいらな サトゥガヨ バンドゥクル
Usukajitu tsiriti hayiyamata shinudi irana satuga yo bandukuru
歌意:かこいのような室にひっこもっていると、ゆううつになってたまらない。そよ吹く風と共に殿の宿直室に忍び込んでみたい。
【06 ヂャンナ節 Janna Bushi】
琉歌:上下の綾門 関の戸もささぬ 治まとる御代の しるしさらめ
歌詞:かみしむぬあやじょ しちぬとぅんささん ヂャンナ ヂャンナ ヨ
Kamishimunu ayajo sichinutun sasan janna janna yo
をぅさまとぅるみゆぬ しるしさらみ ヂャンナ ヂャンナ ヨ
Wusamaturu miyunu shirushi sarami janna janna yo
をぅさまとぅるみゆぬ しるしさらみ ヂャンナ ヂャンナ ヨ
Wusamaturu miyunu shirushi sarami janna janna yo
歌意:綾門道の上下に建てられた上の門(守礼門)下の門(中山門)の戸を開放にして検問もしないのは、国家安泰の象である。
【07 諸屯節 Shudun Bushi】
琉歌:諸屯女童の 雪の色の歯茎 いつか夜のくれて み口吸はな
歌詞:しゅどぅんみや ハ らびぬ ゆちぬるぬはぐち サトゥヌシ ヨ
Shudun miya ha rabinu yuchinurunu haguchi satunushi yo
いつぃかゆぬくりてぃ みくちすわ ン な アリ サトゥヌシ ヨ
Itsika yunukuriti mikuchi suwa n’ na ari satunushi yo
歌意:歯茎の「くき」は語呂の関係で挿入された語である。「み口吸は」=琉歌唯一のキッスのこと。
諸屯乙女の雪色のま白な歯なみに魅せられ、早く日がくれてキッスしたいもんだ。
※「や」の次の「ハ」、「な」の前の「ン」が盛彬が奏法解説や記録映像にて説明している付け言葉である。通常の囃子言葉(フェーシ)と異なり、歌唱発声および芸術的装飾のために一文字分程度の存在感となった楽音であり、文法・歌意的には完全に無意味な、表現のための音声といえるだろう。
【08 揚作田節 下ゲ出し Agitsikuten Bushi Saginjashi】
琉歌:面影のだいんす 立たなおちくいれば 忘れゆるひまも あゆらやすが
歌詞:うむかぢぬでんし たたなうちくゐりば わすぃりゆるふぃまん あゆらやすぃが
Umukajinu denshi tatana uchikwiriba wasiriyuru fiman ayurayasiga
わすぃりゆるふぃまん あゆらやすぃが
Wasiriyuru fiman ayurayasiga
歌意:面影さえ立ってくれなければ忘れる暇もあろうに、こんな立ち通しでわ!とたんそくする場面である。
※「作田節」をベースに完全4度上昇(移調)して三線の第二ポジションで演奏した曲。揚げ出し下げ出しのバリアンテに加え、盛彬のいう逆行進行もあり、編曲者(或いは作田節の作曲者か?)の構想の巧みさを伺わせる。
【09 揚作田節 揚ゲ出し Agitsikuten Bushi Aginjashi】
琉歌:朝間夕間通ゆて 見る自由のなれば 見ぼしゃうら辛さ のよでしゃべが
歌詞:あさまゆまかゆてぃ みるじゆぬなりば みぶしゃうらちらしゃ ぬゆでぃしゃびが
Asamayuma kayuti mirujiyunu nariba mibusha uratsirasha nuyudi shabiga
みぶしゃうらちらしゃ ぬゆでぃしゃびが
Mibusha uratsirasha nuyudi shabiga
歌意:朝な夕な通って行って、お会いできる自由さが私にあったら、見たや会いたやを何で致しましょう。
【10 暁節 Akatsichi Bushi】
琉歌:惜しむ夜や更けて 明雲も立ゅり にゃまたいつ拝で 百気延びゅが
歌詞:うしむや ハ ふきてぃ ヨ ティワ あきぐむん たちゅYい ヨ ティワ
Ushimu yuya ha fukiti yo tiwa akigumun tachuyi yo tiwa
にゃまたいつぃ ヨ をぅがでぃ ウミンゾ むむち ぬびゅが ヨ
Nyamata itsi yo wugadi uminzo mumuchi nubyuga yo
歌意:惜しまれる夜もしんしんと更けて、暁近くなったのか明雲も起りそめた。もう又いつ拝顔できて気がのびのびとなれるでしょうか。
※「や」の次の「ハ」は諸屯節同様付け言葉である。盛彬のいう吸音、すなわち息を吸いながら出す歌唱技法が特徴的。後半に少しテンポが速くなることについて「朝日がどんどんと昇ってくる様子を表現したものである」という伝承は興味深い。
<あとがき>
今回の湛水流CDの音源について、盛彬は「私の録音物には弾き間違い歌い間違いもあるから基本は楽譜を手本に稽古すべし」という旨を弟子へ伝えました。しかし楽譜と音源の差異は装飾的な音や表現に多く、肝となる音は同一です。そのため多少楽譜と差異があったとしてもこのCDは湛水流の大筋の歌唱法や奏法、芸術的表現方法を理解するためには非常に重要な音源であるといえます。
実は盛彬出版の楽譜(第6巻)にも少々誤りがあります。盛彬が弟子に伝授した楽譜には朱で訂正が入っていました。現在、盛彬が本当に伝えたかった湛水流は口伝を含め湛水流伝統保存会として伝承されています。