CDその3は第13巻『欽定琉球三絃楽譜 上巻(端節)-声楽譜附工工四と五線譜訳-』の付録音源です。「上巻」とタイトルについていますが本書のみで下巻などは存在しません。
オープンリールのパッケージには以下の文言が記されています。
教則的録音 唄三線 山内盛彬(80才)(1969年)
]V 欽定琉球三絃楽譜上巻(端節)録音テープ
欽定野村風工工四上巻に収録された端節(ファーブシ)を盛彬が歌三線で実演しています。なお、第13巻に収録されている楽曲の全曲(37曲)は収録されておらず、その約半数の抜粋された曲がテープに記録されていました。冒頭の「概説」で盛彬が述べている通り、第11巻付録のテープ(CDその4)と収録曲が数曲"ダブって"います。音源自体は別物で歌詞も異なり、CDその3の音源は笛や箏などの楽器、また歌三線の装飾的な要素を抜いた教則的演奏となっており実演の面でも非常に勉強になります。
この第13巻の冒頭の「著者のことば」には「この譜本は、欽定野村風工工四の楽曲に声楽譜をつけ、さらに五線譜にも訳して国際化そうとする(原文ママ)主旨であり、使命中の高峰である」とあります。盛彬に野村流を伝授した祖父山内盛熹は野村安趙に就いて野村風工工四を編さんした編者の一人であり、安趙の弟子でもあります。第13巻の楽譜には、盛熹から教わった野村の歌い方を記した声楽譜(工工四および五線譜)が記載されています。
02 (五吟風)かじゃで風節
03 (五吟風)恩納節
04 (五吟風)長伊平屋節
05 (五吟風)中城はんた前節
06 (五吟風)こてぃ節
07 白瀬走川節
08 辺野喜節
09 石ん根の道節
10 揚高弥久節
11 なからた節、瓦屋節、しょんがない節
12 踊くはでさ節
13 花風節
14 本嘉手久節
15 ごえん節
16 揚作田節
調子(調弦)、指の符号、手法技巧(左手・右手)、声楽技巧、特殊発音、この音源の意義について
【02 (五吟風)かじゃで風節 Kajadifū - Bushi】
以下琉歌・歌詞・歌意は第13巻より引用(明確な誤字脱字は修正)、※は盛貴による補足
琉歌:石なごの石の 大瀬なる迄も おかけぼさへ召しゃうれ 我御主加那志
歌詞:いしなぐぬいしぬ うふしなるまでぃん うかきぶせみしょり わうしゅがなし ヨンナ
Ishinagunu ishinu Ufushinarumadin Ukakibusemishori Waushuganashi yon’na
ハリ うかきぶせみしょり
hari Ukakibusemishori
(繰返) うかきぶせみしょり わうしゅがなし ヨンナ
(Repeat)Ukakibusemishori Waushuganashi yon’na
※歌意:石を投げる遊び「石なぐ」の石が大きな岩になるくらいの時間の長さまでもお治め下さい、我が国王様。
解説:この曲は総ての祝宴の初めに奏される祝歌であり、それぞれの祝意にふさわしい換歌も多い。この曲の出所は、尚円王の命を救った奥間鍛冶屋の出世を讃した歌の中の「カジヤディフ」という語から起こったと云われているが、そうではないと思う。それは作歌・旋法・端節としての出現が後代だからである。照屋寛善氏の説によると「沖縄では慶長役から能が演ぜられていたが、それを郷土化するために、翁は老人踊として冠者手風(能役者の振りの風格の意)となり、若少(若衆ではない)が舞う延命冠者は小牛尉に擬して特牛節(クティブシ)となった」との達見に賛同する。かじゃで風節を初奏とする五曲に、俗に御前風と謂われているのは、高貴の席で奏されたからだとされているが、これも根拠はうすい。私考では、五曲組合わされたことから五吟風と言われたと思う。この五曲中後の三曲は郷土色の豊かなのを選んだ。即ち長伊平屋節はゆったりとした婦人舞踊曲、中城はんた前節は男子の軽快さ、恩納節は乙女の艶さというように日琉・緩急の調和をとり入れて組合わされた。
【03 恩納節(長恩納節) Unna - Bushi(Naga Unna - Bushi) 】
琉歌:首里公事済まち 戻る道すがら 恩納嶽見れば 白雲のかかる 恋しさやつめて 見欲しゃばかり
歌詞:しゅいめでいすぃまち ヤリヤリヨ むどぅるみちしがら
Shuyimedei simachi yariyari yo muduru michishigara
うんなだきみりば ヤリヤリヨ しらくむぬかかる
Unnadaki miriba yariyari yo shirakumunu kakaru
くYいしさやつぃみてぃ ヤリヤリヨ みぶしゃばかYい スヤスヤ
Kuyishisaya tsimiti yariyari yo mibusha bakayi suyasuya
※歌意:首里城でのお勤めを済ませて戻る道すがらに、恩納岳を眺めれば白雲がかかっている。恋しさが胸にあふれてきて(恩納岳の向こう側に居るであろう愛しいあなたを)見たいと思うばかりである。
解説:五吟風に組み入れられ、恩納邑から出た端節である。詞は琉球第一の女詩人恩納ナベの作が多い。雄大な恩納嶽の自然美を背景とする麗しい恋歌や讃王歌がある。
【04 長伊平屋節 Nagaihya - Bushi】
琉歌:凪の伊平屋嶽や 浮きゃがてど見ゆる 遊で浮きゃがゆる 我玉黄金
歌詞:とぅりぬいひゃ ヨンゾ だきや うちゃがてぃどぅ ヨンゾ みゆる
Turinu ihya yo nzo dakiya uchagatidu yon nzo miyuru
あすぃでぃうちゃ ヨンゾ がゆる わたまくがに ンゾヨ
Asidi ucha yo nzo gayuru watama kugani nzoyo
※歌意:凪いで伊平屋岳が浮き上がって見えるのと同じように 我が子の踊りもまた一段と際立ってきれいに見える。
解説:この曲は伊平屋島から出た民謡であるが、五吟風に組入れた時に改作されて優れた悠暢な曲となった。歌意は、尚円王の母が「そびえる伊平屋嶽に譬えて、わが子の踊りをほめたものだ」とされているが、ヨンゾという囃子があるのをみると、王が伊平屋島を脱して国頭のギナマに上陸した時に郷里の山を眺めて、彼女のことを思い出しての情歌だとも思われる。元は替歌が多々あったが、五吟風の歌曲となってからは本歌にしぼられた。祝吟にするために、本伊平屋節とは違って掛喉(声明の塩梅音)を多く使った。
【05 中城はんた前節 Nakagushiku - hantamē Bushi】
琉歌:はんた前の渡り 溝割てど廻はそ 三舛桝三桝 真水こめて
歌詞:はんためぬわたYい んじゅわてぃどぅまわす スリ さんじゅますぃみますぃ まみずぃくみてぃ
Hantamenu watayi njuwatidu mawasu suri sanjumasi mimasi mamizikumiti
※歌意:久米島の中城城の前の渡りの水を割ってこそ(水が)回るのだ。サンジュマスィという田圃にきれいな水を汲んで。
解説:この節は久米島の灌漑の歌曲で、首里に登用されて文学的な賛歌をつけて五吟風にも採用された。原歌では三舛桝という田圃に水が一杯たたえての美しさを歌っているが、登用されてからは当時の気節付で唱ったり、又は四季順に独唱されたりする。蝶(はべる)は謡語ではハビルと発音する。又唄い出の所は、絃を弾いて■(※判読不明一字)の休止を入れて唄い出す。
【06 こてい節 Kuti - Bushi】
琉歌:御慈悲ある故ど お万人のまぎり 上下も揃ろて 仰ぎ拝む
歌詞:ぐじふぃあるゆYいどぅ イヤYイヤ ワンゾガヨ うまんちゅぬまぢり イヤYイヤワンゾガヨ
Gujifi aruyuyidu iyayiya wanzoga yo umanchunu maziri iyayiya wanzoga yo
かみしむん ヒヤマタ するてぃ アヌシュラヨ あうぢうがむ フYイ
Kamishimun hiyamata suruti anushurayo awuji ugamu fuyi
ウリサミ ニャウリサミ シュラジャンナヨ ハYイヤ ウリサミ シュラヨ フYイ
urisami nyaurisami shurajan’nayo hayiya urisami syurayo fuyi
※歌意:国王の御慈悲があるからこそ 国民皆々 身分問わず集まって (王の顔を)仰ぎ拝むのだ
解説:組踊に五番があるよるに、五吟の祝歌が作られた。そして能の翁が主役として冠者手風となり、脇能の小牛尉は若少がつとめて、特牛節となった。その振は扇子を使っての若衆踊りとなった。若衆という語も若少からきているだろう。(照屋寛善説)
※注:音源では盛彬は下句「揃ろて」の箇所を「すりてぃsuriti」と歌っています。一方楽譜(民芸全13巻)に書かれていたルビは「スルティ」でした。
【07 白瀬走川節 Shirashihaikawa - Bushi】
琉歌:白瀬走川に 流れゆる櫻 すくて思里に 貫きゃいはけら
歌詞:しらし ヨ はYいかわに ハリ ながり ヨ ゆるさくら ハリヒヤルガヒ
Shirashi yo hayikawani hari nigari yo yuru sakura hari hiyaruga hi
すぃくてぃ ヨ うみさとぅに ハリ ぬちゃYい ヨ はきら ハリヒヤルガヒ
Sikuti yo umisatuni hari nuchayi yo hakira hari hiyaruga hi
解説:本歌は久米島の白瀬川の急流にういて流れる櫻花をすくって糸に貫きためて君の肩にかけてあげようという。貫花踊に使われる歌曲。
【08 辺野喜節 Binuchi - Bushi】
琉歌:伊集の木の花や あん清らさ咲きょり 我身も伊集やとて 真白咲かな
歌詞:んじゅぬきぬはなや ヒヤルガ あんちゅらささちゅYい
Njunukinu hanaya hiyaruga anchurasa sachuyi
(繰返)わぬん’んじゅやとぅてぃ ヒヤルガ ましらさかな ヨンナ
(Repeat)Wanun’njuyatuti hiyaruga mashira sakana yon’na
※歌意:伊集の木の花はとても美しく咲いている。私も伊集のように真白に咲きたいものだ。
解説:伊集の木の花は芙蓉のような白い花が咲くもので、国頭の山に多く咲いている。この曲は伊集の木節と言われたのだが、他に同名異曲があるため、この曲には節の産地の辺野喜の名をとって辺野喜節と名付け、他の曲には山原伊集の木節と名付けた。この歌は花を人情に譬えての歌である。具志川王子が琉球の楊貴妃だと予言した女が果たして王妃となり、国王の寵愛を一身に集めた。すると正妃が王妃を伊集の花に託して歌を作り、人知れずしっとの焔を燃やしたという伝説がある。次の替歌「波の声も…」は女詩人恩納ナベが、尚敬王を賛して天地に怒号した歌としての名歌である。曲想は最も激越を極め、囃子のヒヤールーガーに奮起の慨がよく現れている。
【09 石ん根の道節 Ishinninumichi - Bushi】
琉歌:石ん根の道から 寺の側まで
歌詞:いしんにぬ ヨ みちから てぃらぬすば ハリ までぃん
Ishin’ninu yo michikara tiranusuba hari madin
アガスミャヨ ハリ ウネ サンサチ ウネシタ
Agasumyayo hari une sansachi uneshita
解説:昔宮古島統治の在番奉行の任期がみちて沖縄に帰る時の愛人や島人との別れの乗船途上が歌われている。こまかい人情美の描写ではなく、別れの哀愁の中にも前途を祝福するきらめきがある。それで冠船劇の望舟宴でも、この曲に替歌をつけて歌われている。詞は八八八六の琉歌調ではなく、宮古のあやご風で連続体の歌謡形式である。この歌曲は宮古曲の“石嶺の道のあやぐ”(石嶺の道からよシターリ寺の主が御側からよ、シターリヨヌ、サンサシ、カリウシャーヨ…)の擬作であろう。
※注:工工四には「サンサツィ」と表記されていましたが、それ以外の歌詞や五線譜には「サンサチsansachi」と表記されていたので「サンサチ」を採用しました。
【10 揚高祢久節 Agitakaniku - Bushi】
琉歌:高祢久に登て 真南向て見れば 片帆舟だい思ば 真帆どやゆる
歌詞:たかにくにぬぶてぃ まふぇんかてぃみりば ササ かたふぶにでみば まふどぅやゆる
Takanikuni nubuti mafenkati miriba sasa katafubuni demiba mahudu yayuru
かたふぶにでみば まふどぅやゆる
katafubuni demiba mahudu yayuru
解説:三曲組合せの終曲で、テンポは早い。この節は、八重山の新城島の請の端節が十九世紀頃沖縄に渡来した曲で、歌曲が多少変化している。高祢久節と揚高祢久節は共に嬰陰旋法であるが、前者はI宮で後者はII宮でピッチが4度高い。けだし調子は二曲とも本調子である。
明治頃沖縄で恋の花節が大流行したが、それは八重山の請の端な節に詞を入れ替え節名も恋の花に変えたものである。所が野村工工四に高祢久節として載っている。
歌意は「自分の主人ののっている片帆舟(一本柱)だと思っていたのに近づいて見たら真帆舟(二本柱)なので失望した」
【11 なからた節、瓦屋節、しゃうんがない節 Nakarata - Bushi, Karayā - Bushi, Shonganē - Bushi】
<なからた節>
琉歌:できゃよ押し連れて 眺めやい遊ば 今日や名に立つる 十五夜だいもの
歌詞:でぃちゃようしつぃりてぃ ヨ ながみやYいあすぃば ヨ
Dichayo ushitsiriti yo nagamiyayi asiba yo
きゆやなにたちゅる ヨ じゅぐやでむでむぬ ヨ
kiyuya nanitachuru yo juguya demu demunu yo
※歌意:さぁさぁ一緒に(月を)眺めて遊ぼう。今日は有名な十五夜だから。
<瓦屋節>
琉歌:押す風も今日や 心あてさらめ 雲晴れて照す 月の美さ
歌詞:うすかじんきゆや くくるあてぃさらみ くむはりてぃてぃらす つぃちぬちゅらさ ヨティバ
Usukajin kiyuya kukuruati sarami kumuhariti tirasu tsichinu churasa yo tiba
※歌意:そよ風も今日は心あるもののようではないか。雲が晴れて照らす月の美しさよ。
<しゃうんがない節>
琉歌:月も眺めたい 急ぎ立ち戻ら 里や我宿に 待ちゅらだいもの
歌詞:つぃちんながみたYい いすぢたちむどぅら さとぅやわがやどぅに まちゅらでむぬ ヨンナ
Tsichin nagamitayi isuji tachimudura satuya wagayaduni machura demunu yon’na
ササ ションガネ スリ ションガネ
sasa shongane suri shongane
※歌意:月も眺めたから急いで帰ろう。愛しい人が私の家にまっているだろうから。
解説:以上なからた節、瓦屋節、しやうんがない節は三曲組合わした婦人月見の舞踊曲である。南国の明るい月の中秋に、友を誘って月に踊ると、恋人が家に待っているのに気が付いて、そわそわと帰宅する乙女の純真さを表している。曲の旋法の日本陽性に染まらない独自の嬰陰で優美である。三曲ともII宮だから、箏の調子換えにも便宜である。
【12 踊りくはでさ節 Wuduyikufadīsa - Bushi】
琉歌:打鳴らし鳴らし 四つ竹は鳴らち 今日や御座出ぢて 遊ぶうれしや
歌詞:うちならしならし サセンスル センスルセ ゆつぃだきわならち サセンスル センスルセ
Uchinarashi narashi sa sensuru sensuru se yutsidakiwanarachi sa sensuru sensuruse
きゆやんざんざんぢてぃ あしぶ サ あしぶうりしゃ
Kiyuyanza nzanjiti ashibu urisha sa ashibu urisha
※歌意:鳴らせ鳴らせ。四竹を鳴らして今日は御座敷に出て踊り遊ぶ嬉しさよ。
舞踊解説:嬰陰旋法の美しいメロディーでリズミカルな所からリズム楽器の四つ竹に合せて踊られる。花笠を被った紅型姿の四つ竹踊は、代表的琉舞である。
※注:盛彬はこの曲に関してのみ「遊ぶ」のルビを「アスィブ asibu」ではなく「アシブ ahibu」と表記していました。
【13 花風節 Hanafū - Bushi】
琉歌:手巾持上げれば 与所の目のしげさ 頭とり名づけ 手しやい招け
歌詞:てぃさぢむちゃぎりば ヨ ゆすぬみぬしぢさ ヨ
Tisaji muchagiriba yo yusunuminu shijisa yo
かしらとぅYいなづぃき ヨ てぃしゃYいまにき ヨンナ
Kashiratuyi natziki yo tishayi maniki yon’na
かしらとぅYい ヨ なづぃき
Kashiratuyi yo natziki
(繰返)かしらとぅYいなづぃき ヨ てぃしゃYいまにき ヨンナ
(Repeat) Kashiratuyi natziki yo tishayi maniki yon’na
※歌意:手ぬぐい(ティサージ)を持ちあげれば、周りの目が多い(ので人目につく)。髪を抜くことにかこつけて、素手で招きなさい。
解説:花風節とは花街風の曲ということである。本歌では女郎が馴染客の出船を港口の三重城で見送りをする場面を詠んである。手巾を振ることは、弟日姫子(おとびひめこ)が褶振峯(ひれふるみね)で褶(ひれ)を振ったという日本の古事が沖縄に残つている。走船(はやふに)とは実は薩摩に積んでゆく綾船のことである。
この節は廃藩後古典に擬して振付けたもので、雑踊として代表的女踊である。銀簪に藍紙笠をさし、花染手巾を打ふる所作は恋人の魂を呼びさますであろう。
【14 本嘉手久節 Mutukadiku - Bushi】
琉歌:見る花に袖や 引きよ止められて 月のぬ上がてど 戻て行きゅる
歌詞:みるはなにすでぃや ふぃちゆとぅみらりてぃ ヨ
Miruhanani sudiya fichiyu tumirariti yo
つぃちぬぬちゃがてぃどぅ むどぅてぃいちゅる ヨシュラ
Tsichinu nuchagatidu muduti ichuru yoshura
歌意:登楼して遊び過ぎて帰宅することを忘れていた。そのことを花見に譬えたという。(盛彬)
解説:気品の高い優しさのこもっている曲で、婦人の花笠踊りに用いられる。この曲は大島の嘉徳から出た。ところが草弾に弾かれてカーディークー(嘉手久思鍋がことづけの煙草、又もことづけのもつれ煙草)に化しているので、知念時代に名護という人が嘉手久節を追想してこの曲を作った。そこで古曲には昔嘉手久節といい、(もいこ花こ花 物も言やぬばかり 露に打向て 笑て咲きゆさ)新曲に本嘉手久節と名づけた。
【15 ごえん節 Guin - Bushi】
琉歌:御縁あて弟ぎゃ 行逢て嬉しさや 打ちはれて遊べ 我身も遊ば
歌詞:ぐYいんあてぃうとぅぢゃ シュラヨ いちゃてぃうりしさや ヒヤ ウミシュラ ヂャンナヨ
Guyinati utuja shurayo ichati urishisaya hiya umishura jan’nayo
うちはりてぃあすぃび シュラヨ わぬんあすぃあすぃば ヒヤ ウミシュラ ヂャンナヨ
Uchihariti asibi shurayo wanun asi asiba hiya umishura jan’nayo
歌意:兄弟達よ、ご縁があってお会いができて嬉しい。されば今日はうちとけて共に舞楽をし給え。
解説:この節の歌は、胸襟をひらいて、共に舞楽に興じて親しさを計らうというものである。曲想に尊厳な所がある故に、神の出現の場面にこの曲が使われる。この曲は向氏名護の作曲である。
【16 揚作田節 Agitsikuten - Bushi】
琉歌:朝夕たしなだる 長刀の刃先 敵の首筋に 立たなおきゅめ
歌詞:あさゆたしなだる なぢなたぬはさち てぃちぬくびしじに たたなうちゅみ
Asayu tashinadaru najinatanu hasachi tichinu kubishijini tatana uchumi
歌意:朝夕に励んだ長刀の刃先は、仇敵の首筋に立たないでおくものか。必ずや仇をとって見せる。この曲のリズムには躍動的な所があるので、長刀の踊にこれが採用され、組踊では婦女の仇討に用いられる。
解説:昔節の作田節を崩して作られた端節に、揚作田節の外、早作田節、伊集早作田節、中作田節、(1下げ作田節は亡ぶ)があるが、この曲だけは例外にも宮を4度上げて(=I宮をII宮に)賑やかに弾かれる。そのため長刀舞踊にもむくわけである。湛水前にできたこの節は、湛水時代には恋愛情緒に充ちた優雅な曲想であったが、この曲を組踊の姉妹敵討の仇討の長刀踊に採用されたために、快調になったものである。
盛彬の野村流の歌三線は現在普及しているものとは多少差異がありますが、野村安趙の弟子で野村工工四編者の一人である山内盛熹の、孫でもあり弟子でもある盛彬の音源であるため、古形を表現していると推測されます。盛彬はこの音源を「教則的」としているので、野村流の本質を研究されるのに役立つと思います。
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