2021年08月03日

【CDその3概要】山内盛彬生誕130年 民俗芸能全集付録音源復刻盤CDその3 『欽定琉球三絃楽譜 上巻(端節)-声楽譜附工工四と五線譜訳-』付録

民俗芸能全集付録音源復刻盤その3 
欽定琉球三絃楽譜 上巻(端節) 声楽譜附工工四と五線譜訳



ジャケット.jpg

CDその3は第13巻『欽定琉球三絃楽譜 上巻(端節)-声楽譜附工工四と五線譜訳-』の付録音源です。「上巻」とタイトルについていますが本書のみで下巻などは存在しません。

オープンリールのパッケージには以下の文言が記されています。

 教則的録音 唄三線 山内盛彬(80才)(1969年)

 ]V 欽定琉球三絃楽譜上巻(端節)録音テープ

欽定野村風工工四上巻に収録された端節(ファーブシ)を盛彬が歌三線で実演しています。なお、第13巻に収録されている楽曲の全曲(37曲)は収録されておらず、その約半数の抜粋された曲がテープに記録されていました。冒頭の「概説」で盛彬が述べている通り、第11巻付録のテープ(CDその4)と収録曲が数曲"ダブって"います。音源自体は別物で歌詞も異なり、CDその3の音源は笛や箏などの楽器、また歌三線の装飾的な要素を抜いた教則的演奏となっており実演の面でも非常に勉強になります。

この第13巻の冒頭の「著者のことば」には「この譜本は、欽定野村風工工四の楽曲に声楽譜をつけ、さらに五線譜にも訳して国際化そうとする(原文ママ)主旨であり、使命中の高峰である」とあります。盛彬に野村流を伝授した祖父山内盛熹は野村安趙に就いて野村風工工四を編さんした編者の一人であり、安趙の弟子でもあります。第13巻の楽譜には、盛熹から教わった野村の歌い方を記した声楽譜(工工四および五線譜)が記載されています。



<曲目録>
01 欽定琉球三絃楽譜上巻(端節) 概説
02 (五吟風)かじゃで風節
03 (五吟風)恩納節
04 (五吟風)長伊平屋節
05 (五吟風)中城はんた前節
06 (五吟風)こてぃ節
07  白瀬走川節
08 辺野喜節
09 石ん根の道節
10 揚高弥久節
11 なからた節、瓦屋節、しょんがない節
12 踊くはでさ節
13 花風節
14 本嘉手久節
15 ごえん節
16 揚作田節


<楽曲解説>
【01 概説】

調子(調弦)、指の符号、手法技巧(左手・右手)、声楽技巧、特殊発音、この音源の意義について


【02 (五吟風)かじゃで風節 Kajadifū - Bushi】

以下琉歌・歌詞・歌意は第13巻より引用(明確な誤字脱字は修正)、※は盛貴による補足

琉歌:石なごの石の 大瀬なる迄も おかけぼさへ召しゃうれ 我御主加那志

歌詞:いしなぐぬいしぬ うふしなるまでぃん うかきぶせみしょり わうしゅがなし ヨンナ

   Ishinagunu ishinu Ufushinarumadin Ukakibusemishori Waushuganashi yon’na

       ハリ うかきぶせみしょり

   hari Ukakibusemishori

   (繰返)  うかきぶせみしょり わうしゅがなし ヨンナ

   (Repeat)Ukakibusemishori Waushuganashi yon’na

※歌意:石を投げる遊び「石なぐ」の石が大きな岩になるくらいの時間の長さまでもお治め下さい、我が国王様。

解説:この曲は総ての祝宴の初めに奏される祝歌であり、それぞれの祝意にふさわしい換歌も多い。この曲の出所は、尚円王の命を救った奥間鍛冶屋の出世を讃した歌の中の「カジヤディフ」という語から起こったと云われているが、そうではないと思う。それは作歌・旋法・端節としての出現が後代だからである。照屋寛善氏の説によると「沖縄では慶長役から能が演ぜられていたが、それを郷土化するために、翁は老人踊として冠者手風(能役者の振りの風格の意)となり、若少(若衆ではない)が舞う延命冠者は小牛尉に擬して特牛節(クティブシ)となった」との達見に賛同する。かじゃで風節を初奏とする五曲に、俗に御前風と謂われているのは、高貴の席で奏されたからだとされているが、これも根拠はうすい。私考では、五曲組合わされたことから五吟風と言われたと思う。この五曲中後の三曲は郷土色の豊かなのを選んだ。即ち長伊平屋節はゆったりとした婦人舞踊曲、中城はんた前節は男子の軽快さ、恩納節は乙女の艶さというように日琉・緩急の調和をとり入れて組合わされた。


【03 恩納節(長恩納節) Unna - Bushi(Naga Unna - Bushi) 】

琉歌:首里公事済まち 戻る道すがら 恩納嶽見れば 白雲のかかる 恋しさやつめて 見欲しゃばかり            

歌詞:しゅいめでいすぃまち ヤリヤリヨ むどぅるみちしがら 

   Shuyimedei simachi yariyari yo muduru michishigara

   うんなだきみりば ヤリヤリヨ しらくむぬかかる

   Unnadaki miriba yariyari yo shirakumunu kakaru

    くYいしさやつぃみてぃ ヤリヤリヨ みぶしゃばかYい スヤスヤ

       Kuyishisaya tsimiti yariyari yo mibusha bakayi suyasuya

※歌意:首里城でのお勤めを済ませて戻る道すがらに、恩納岳を眺めれば白雲がかかっている。恋しさが胸にあふれてきて(恩納岳の向こう側に居るであろう愛しいあなたを)見たいと思うばかりである。

解説:五吟風に組み入れられ、恩納邑から出た端節である。詞は琉球第一の女詩人恩納ナベの作が多い。雄大な恩納嶽の自然美を背景とする麗しい恋歌や讃王歌がある。


【04 長伊平屋節 Nagaihya - Bushi】

琉歌:凪の伊平屋嶽や 浮きゃがてど見ゆる 遊で浮きゃがゆる 我玉黄金

歌詞:とぅりぬいひゃ ヨンゾ だきや うちゃがてぃどぅ ヨンゾ みゆる

   Turinu ihya yo nzo dakiya uchagatidu yon nzo miyuru

   あすぃでぃうちゃ ヨンゾ がゆる わたまくがに ンゾヨ

       Asidi ucha yo nzo gayuru watama kugani nzoyo

※歌意:凪いで伊平屋岳が浮き上がって見えるのと同じように 我が子の踊りもまた一段と際立ってきれいに見える。

解説:この曲は伊平屋島から出た民謡であるが、五吟風に組入れた時に改作されて優れた悠暢な曲となった。歌意は、尚円王の母が「そびえる伊平屋嶽に譬えて、わが子の踊りをほめたものだ」とされているが、ヨンゾという囃子があるのをみると、王が伊平屋島を脱して国頭のギナマに上陸した時に郷里の山を眺めて、彼女のことを思い出しての情歌だとも思われる。元は替歌が多々あったが、五吟風の歌曲となってからは本歌にしぼられた。祝吟にするために、本伊平屋節とは違って掛喉(声明の塩梅音)を多く使った。


【05 中城はんた前節 Nakagushiku - hantamē Bushi】

琉歌:はんた前の渡り 溝割てど廻はそ 三舛桝三桝 真水こめて

歌詞:はんためぬわたYい んじゅわてぃどぅまわす スリ さんじゅますぃみますぃ まみずぃくみてぃ

   Hantamenu watayi njuwatidu mawasu suri sanjumasi mimasi mamizikumiti

※歌意:久米島の中城城の前の渡りの水を割ってこそ(水が)回るのだ。サンジュマスィという田圃にきれいな水を汲んで。

解説:この節は久米島の灌漑の歌曲で、首里に登用されて文学的な賛歌をつけて五吟風にも採用された。原歌では三舛桝という田圃に水が一杯たたえての美しさを歌っているが、登用されてからは当時の気節付で唱ったり、又は四季順に独唱されたりする。蝶(はべる)は謡語ではハビルと発音する。又唄い出の所は、絃を弾いて■(※判読不明一字)の休止を入れて唄い出す。


【06 こてい節 Kuti - Bushi】

琉歌:御慈悲ある故ど お万人のまぎり 上下も揃ろて 仰ぎ拝む

歌詞:ぐじふぃあるゆYいどぅ イヤYイヤ ワンゾガヨ うまんちゅぬまぢり イヤYイヤワンゾガヨ

       Gujifi aruyuyidu iyayiya wanzoga yo umanchunu maziri iyayiya wanzoga yo

   かみしむん ヒヤマタ するてぃ アヌシュラヨ あうぢうがむ フYイ

       Kamishimun hiyamata suruti anushurayo awuji ugamu fuyi

   ウリサミ ニャウリサミ シュラジャンナヨ ハYイヤ ウリサミ シュラヨ フYイ

       urisami nyaurisami shurajan’nayo hayiya urisami syurayo fuyi

※歌意:国王の御慈悲があるからこそ 国民皆々 身分問わず集まって (王の顔を)仰ぎ拝むのだ

解説:組踊に五番があるよるに、五吟の祝歌が作られた。そして能の翁が主役として冠者手風となり、脇能の小牛尉は若少がつとめて、特牛節となった。その振は扇子を使っての若衆踊りとなった。若衆という語も若少からきているだろう。(照屋寛善説)

※注:音源では盛彬は下句「揃ろて」の箇所を「すりてぃsuriti」と歌っています。一方楽譜(民芸全13巻)に書かれていたルビは「スルティ」でした。


【07 白瀬走川節 Shirashihaikawa - Bushi】

琉歌:白瀬走川に 流れゆる櫻 すくて思里に 貫きゃいはけら

歌詞:しらし ヨ はYいかわに ハリ ながり ヨ ゆるさくら ハリヒヤルガヒ

   Shirashi yo hayikawani hari nigari yo yuru sakura hari hiyaruga hi

   すぃくてぃ ヨ うみさとぅに ハリ ぬちゃYい ヨ はきら ハリヒヤルガヒ

       Sikuti yo umisatuni hari nuchayi yo hakira hari hiyaruga hi

解説:本歌は久米島の白瀬川の急流にういて流れる櫻花をすくって糸に貫きためて君の肩にかけてあげようという。貫花踊に使われる歌曲。


【08 辺野喜節 Binuchi - Bushi】

琉歌:伊集の木の花や あん清らさ咲きょり 我身も伊集やとて 真白咲かな

歌詞:んじゅぬきぬはなや ヒヤルガ あんちゅらささちゅYい

   Njunukinu hanaya hiyaruga anchurasa sachuyi

   (繰返)わぬん’んじゅやとぅてぃ ヒヤルガ ましらさかな ヨンナ

       (Repeat)Wanun’njuyatuti hiyaruga mashira sakana yon’na

※歌意:伊集の木の花はとても美しく咲いている。私も伊集のように真白に咲きたいものだ。

解説:伊集の木の花は芙蓉のような白い花が咲くもので、国頭の山に多く咲いている。この曲は伊集の木節と言われたのだが、他に同名異曲があるため、この曲には節の産地の辺野喜の名をとって辺野喜節と名付け、他の曲には山原伊集の木節と名付けた。この歌は花を人情に譬えての歌である。具志川王子が琉球の楊貴妃だと予言した女が果たして王妃となり、国王の寵愛を一身に集めた。すると正妃が王妃を伊集の花に託して歌を作り、人知れずしっとの焔を燃やしたという伝説がある。次の替歌「波の声も…」は女詩人恩納ナベが、尚敬王を賛して天地に怒号した歌としての名歌である。曲想は最も激越を極め、囃子のヒヤールーガーに奮起の慨がよく現れている。


【09 石ん根の道節 Ishinninumichi - Bushi】

琉歌:石ん根の道から 寺の側まで

歌詞:いしんにぬ ヨ みちから てぃらぬすば ハリ までぃん 

   Ishin’ninu yo michikara tiranusuba hari madin

   アガスミャヨ ハリ ウネ サンサチ ウネシタ

       Agasumyayo hari une sansachi uneshita

解説:昔宮古島統治の在番奉行の任期がみちて沖縄に帰る時の愛人や島人との別れの乗船途上が歌われている。こまかい人情美の描写ではなく、別れの哀愁の中にも前途を祝福するきらめきがある。それで冠船劇の望舟宴でも、この曲に替歌をつけて歌われている。詞は八八八六の琉歌調ではなく、宮古のあやご風で連続体の歌謡形式である。この歌曲は宮古曲の“石嶺の道のあやぐ”(石嶺の道からよシターリ寺の主が御側からよ、シターリヨヌ、サンサシ、カリウシャーヨ…)の擬作であろう。

※注:工工四には「サンサツィ」と表記されていましたが、それ以外の歌詞や五線譜には「サンサチsansachi」と表記されていたので「サンサチ」を採用しました。


【10 揚高祢久節 Agitakaniku - Bushi】

琉歌:高祢久に登て 真南向て見れば 片帆舟だい思ば 真帆どやゆる

歌詞:たかにくにぬぶてぃ まふぇんかてぃみりば ササ かたふぶにでみば まふどぅやゆる

   Takanikuni nubuti mafenkati miriba sasa katafubuni demiba mahudu yayuru

   かたふぶにでみば まふどぅやゆる

   katafubuni demiba mahudu yayuru

解説:三曲組合せの終曲で、テンポは早い。この節は、八重山の新城島の請の端節が十九世紀頃沖縄に渡来した曲で、歌曲が多少変化している。高祢久節と揚高祢久節は共に嬰陰旋法であるが、前者はI宮で後者はII宮でピッチが4度高い。けだし調子は二曲とも本調子である。

   明治頃沖縄で恋の花節が大流行したが、それは八重山の請の端な節に詞を入れ替え節名も恋の花に変えたものである。所が野村工工四に高祢久節として載っている。

   歌意は「自分の主人ののっている片帆舟(一本柱)だと思っていたのに近づいて見たら真帆舟(二本柱)なので失望した」


【11 なからた節、瓦屋節、しゃうんがない節 Nakarata - Bushi, Karayā - Bushi, Shonganē - Bushi】

<なからた節>

琉歌:できゃよ押し連れて 眺めやい遊ば 今日や名に立つる 十五夜だいもの

歌詞:でぃちゃようしつぃりてぃ ヨ ながみやYいあすぃば ヨ

   Dichayo ushitsiriti yo nagamiyayi asiba yo

   きゆやなにたちゅる ヨ じゅぐやでむでむぬ ヨ

   kiyuya nanitachuru yo juguya demu demunu yo

※歌意:さぁさぁ一緒に(月を)眺めて遊ぼう。今日は有名な十五夜だから。


<瓦屋節>

琉歌:押す風も今日や 心あてさらめ 雲晴れて照す 月の美さ

歌詞:うすかじんきゆや くくるあてぃさらみ くむはりてぃてぃらす つぃちぬちゅらさ ヨティバ

   Usukajin kiyuya kukuruati sarami kumuhariti tirasu tsichinu churasa yo tiba

※歌意:そよ風も今日は心あるもののようではないか。雲が晴れて照らす月の美しさよ。


<しゃうんがない節>

琉歌:月も眺めたい 急ぎ立ち戻ら 里や我宿に 待ちゅらだいもの

歌詞:つぃちんながみたYい いすぢたちむどぅら さとぅやわがやどぅに まちゅらでむぬ ヨンナ

       Tsichin nagamitayi isuji tachimudura satuya wagayaduni machura demunu yon’na

    ササ ションガネ スリ ションガネ

       sasa shongane suri shongane

※歌意:月も眺めたから急いで帰ろう。愛しい人が私の家にまっているだろうから。


解説:以上なからた節、瓦屋節、しやうんがない節は三曲組合わした婦人月見の舞踊曲である。南国の明るい月の中秋に、友を誘って月に踊ると、恋人が家に待っているのに気が付いて、そわそわと帰宅する乙女の純真さを表している。曲の旋法の日本陽性に染まらない独自の嬰陰で優美である。三曲ともII宮だから、箏の調子換えにも便宜である。


【12 踊りくはでさ節 Wuduyikufadīsa - Bushi】

琉歌:打鳴らし鳴らし 四つ竹は鳴らち 今日や御座出ぢて 遊ぶうれしや

歌詞:うちならしならし サセンスル センスルセ ゆつぃだきわならち サセンスル センスルセ

   Uchinarashi narashi sa sensuru sensuru se yutsidakiwanarachi sa sensuru sensuruse

   きゆやんざんざんぢてぃ あしぶ サ あしぶうりしゃ

      Kiyuyanza nzanjiti ashibu urisha sa ashibu urisha

※歌意:鳴らせ鳴らせ。四竹を鳴らして今日は御座敷に出て踊り遊ぶ嬉しさよ。

舞踊解説:嬰陰旋法の美しいメロディーでリズミカルな所からリズム楽器の四つ竹に合せて踊られる。花笠を被った紅型姿の四つ竹踊は、代表的琉舞である。

※注:盛彬はこの曲に関してのみ「遊ぶ」のルビを「アスィブ asibu」ではなく「アシブ ahibu」と表記していました。


【13 花風節 Hanafū - Bushi】

琉歌:手巾持上げれば 与所の目のしげさ 頭とり名づけ 手しやい招け

歌詞:てぃさぢむちゃぎりば ヨ ゆすぬみぬしぢさ ヨ 

   Tisaji muchagiriba yo yusunuminu shijisa yo

   かしらとぅYいなづぃき ヨ てぃしゃYいまにき ヨンナ

       Kashiratuyi natziki yo tishayi maniki yon’na

   かしらとぅYい ヨ なづぃき

       Kashiratuyi yo natziki

   (繰返)かしらとぅYいなづぃき ヨ てぃしゃYいまにき ヨンナ

   (Repeat) Kashiratuyi natziki yo tishayi maniki yon’na

※歌意:手ぬぐい(ティサージ)を持ちあげれば、周りの目が多い(ので人目につく)。髪を抜くことにかこつけて、素手で招きなさい。

解説:花風節とは花街風の曲ということである。本歌では女郎が馴染客の出船を港口の三重城で見送りをする場面を詠んである。手巾を振ることは、弟日姫子(おとびひめこ)が褶振峯(ひれふるみね)で褶(ひれ)を振ったという日本の古事が沖縄に残つている。走船(はやふに)とは実は薩摩に積んでゆく綾船のことである。

   この節は廃藩後古典に擬して振付けたもので、雑踊として代表的女踊である。銀簪に藍紙笠をさし、花染手巾を打ふる所作は恋人の魂を呼びさますであろう。


【14 本嘉手久節 Mutukadiku - Bushi】

琉歌:見る花に袖や 引きよ止められて 月のぬ上がてど 戻て行きゅる

歌詞:みるはなにすでぃや ふぃちゆとぅみらりてぃ ヨ 

   Miruhanani sudiya fichiyu tumirariti yo

   つぃちぬぬちゃがてぃどぅ むどぅてぃいちゅる ヨシュラ

       Tsichinu nuchagatidu muduti ichuru yoshura

歌意:登楼して遊び過ぎて帰宅することを忘れていた。そのことを花見に譬えたという。(盛彬)

解説:気品の高い優しさのこもっている曲で、婦人の花笠踊りに用いられる。この曲は大島の嘉徳から出た。ところが草弾に弾かれてカーディークー(嘉手久思鍋がことづけの煙草、又もことづけのもつれ煙草)に化しているので、知念時代に名護という人が嘉手久節を追想してこの曲を作った。そこで古曲には昔嘉手久節といい、(もいこ花こ花 物も言やぬばかり 露に打向て 笑て咲きゆさ)新曲に本嘉手久節と名づけた。


【15 ごえん節 Guin - Bushi】

琉歌:御縁あて弟ぎゃ 行逢て嬉しさや 打ちはれて遊べ 我身も遊ば

歌詞:ぐYいんあてぃうとぅぢゃ シュラヨ いちゃてぃうりしさや ヒヤ ウミシュラ ヂャンナヨ

   Guyinati utuja shurayo ichati urishisaya hiya umishura jan’nayo

   うちはりてぃあすぃび シュラヨ わぬんあすぃあすぃば ヒヤ ウミシュラ ヂャンナヨ

   Uchihariti asibi shurayo wanun asi asiba hiya umishura jan’nayo

歌意:兄弟達よ、ご縁があってお会いができて嬉しい。されば今日はうちとけて共に舞楽をし給え。

解説:この節の歌は、胸襟をひらいて、共に舞楽に興じて親しさを計らうというものである。曲想に尊厳な所がある故に、神の出現の場面にこの曲が使われる。この曲は向氏名護の作曲である。


【16 揚作田節 Agitsikuten - Bushi】

琉歌:朝夕たしなだる 長刀の刃先 敵の首筋に 立たなおきゅめ 

歌詞:あさゆたしなだる なぢなたぬはさち てぃちぬくびしじに たたなうちゅみ

   Asayu tashinadaru najinatanu hasachi tichinu kubishijini tatana uchumi

歌意:朝夕に励んだ長刀の刃先は、仇敵の首筋に立たないでおくものか。必ずや仇をとって見せる。この曲のリズムには躍動的な所があるので、長刀の踊にこれが採用され、組踊では婦女の仇討に用いられる。

解説:昔節の作田節を崩して作られた端節に、揚作田節の外、早作田節、伊集早作田節、中作田節、(1下げ作田節は亡ぶ)があるが、この曲だけは例外にも宮を4度上げて(=I宮をII宮に)賑やかに弾かれる。そのため長刀舞踊にもむくわけである。湛水前にできたこの節は、湛水時代には恋愛情緒に充ちた優雅な曲想であったが、この曲を組踊の姉妹敵討の仇討の長刀踊に採用されたために、快調になったものである。



<あとがき>

盛彬の野村流の歌三線は現在普及しているものとは多少差異がありますが、野村安趙の弟子で野村工工四編者の一人である山内盛熹の、孫でもあり弟子でもある盛彬の音源であるため、古形を表現していると推測されます。盛彬はこの音源を「教則的」としているので、野村流の本質を研究されるのに役立つと思います。


その3フライヤー表A4.jpg_その3フライヤー裏A4.jpg

価格:¥3,000(税込)
販売日:2021年6月23日
販売元:日琉芸能プロジェクト
お問い合わせ:nichiryu398@gmail.com ←こちらのメールから直接発送も対応可(銀行振込のみ)
販売:
1. ネット通販
  琉球楽器またよし様(yahoo!ショッピング)
   https://store.shopping.yahoo.co.jp/matayoshi34ten/cda1a6dvd.html
  三線製作事業協同組合様
  キャンパスレコード様
  日琉芸能プロジェクトBOOTH
2. 音源ダウンロード 2000円    https://nichiryu530398.booth.pm/items/3153852
ラベル:三線 古典 野村流
posted by 530(ゴサマル) at 20:06| Comment(0) | 山内盛彬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月08日

【CDその2概要】山内盛彬生誕130年 民俗芸能全集付録音源復刻盤CDその2 『琉球欽定楽譜湛水流』並びに『翻刻 欽定湛水流工工四』付録

民俗芸能全集付録音源復刻盤その2 
琉球欽定楽譜湛水流・翻刻欽定湛水流工工四




その2ジャケット.jpg

CDその2は第6巻「琉球欽定楽譜湛水流」ならびに第10巻「翻刻 欽定湛水流工工四」の附録音源です。2冊用の共用テープになります。本の内容はどちらも湛水流の楽譜(工工四)ですが、第6巻は盛彬による声楽譜と詳細な記号の書入れがあります。一方第10巻は盛彬の祖父であり師である山内盛熹が国王尚泰より賜ったという欽定工工四の写しです。第6巻は盛彬曰く30部しか作ってないそうで貴重書となっていますが慶應義塾大学三田図書館などに蔵書されています。

オープンリールのパッケージには以下の文言が記されています。

 ― Y集 琉球欽定楽譜湛水流 吹込1966年2月19日 唄三線山内盛彬77才 −

冒頭の解説をトラック1とし、また揚作田節の下出しと揚出しを別トラックとしたため、盛彬の肉声による読み上げ番号とトラックナンバーがずれておりますのでご了承ください。なお第6巻に附録として収録された楽譜集(湛水流以外のもの)の楽曲はテープには収録されていませんでしたのでCDにも収録されておりません。

また、第6巻付録として「記録映画」も販売されていました。山内家にはこの3分程度の無声8mmビデオフィルムが残されていました。この映像に音源を復元して本CD付属のDVDに収録しています。三線の音源は復元できましたが盛彬の話す内容は不明のため、前後の文脈から当てはまると思われる音声のみ付け加えております。リップシンクが合っておりませんのでご了承ください。


<曲目録>
temp_label_23_CD [更新済み].jpgtemp_label_23_DVD[更新済み].jpg


■■Disk1 CD■■
 01 奏法解説
 02 作田節
 03 早作田節 下ゲ出し
 04 早作田節 揚ゲ出し
 05 首里節
 06 ヂャンナ節
 07 諸屯節
 08 揚作田節 下ゲ出し
 09 揚作田節 揚ゲ出し
 10 暁節

■■Disk2 DVD■■

湛水流奏法の解説 記録映像1966年(昭和41年)




<楽曲解説>

【01 奏法解説】 ※は盛貴による追記説明

調弦、嬰陰旋法(≒音階)、右手奏法の掛音・列弾・小音・抜音、左手奏法の打音・3打音・2打音・掻音・一分掻音、唱法の付け言葉・自然発声・突兀としたメロディ変化・吸音・タイム(タイミング)、また揚作田節の逆行進行について説明。

※一分掻音(イチブカチウトゥ):”一分”とは工工四のマスの間を10分割したうちの1つの短い時間のこと

※当流:ここでは野村流のこと

※逆行進行:三線のメロディが音程を上昇していく時に声のメロディが音程を下降していく等、三線と声の上昇・下降が互いに逆行して曲が進行していくこと


⇩試聴音源⇩

【02 作田節 Tsikuten Bushi】 以下琉歌・歌詞・歌意は第6巻より引用(明確な誤字脱字は修正)

琉歌:九重のうちに 莟で露待ちゅす うれしごと菊の 花どやゆる

歌詞:くくぬYいぬうちに つぃぶでぃつぃゆまちゅすぃ ツォンツォン Yイヤ ンゾォ

        Kukunuyinu uchinyi tsibuditsiyu machusi tsontson yiya nzo

        うりしぐとぅきくぬ はなどぅやゆる ツォン ヤ ツォンツォ ヤ ツィクテンテンツィク ヤ ンゾヨ

        Urishigutu kikunu hanadu yayuru tson ya tsontso ya tsikutententsiku ya nzo yo

        (繰返)うりしぐとぅきくぬ はなどぅやゆる ツォン ヤ ツォンツォ

                 Urishigutu kikunu hanadu yayuru tson ya tsontso

歌意:殿上で、時至らば咲き誇ろうとして露を待ちうけているのは、それはお目出度いうれし事を聞かしてくれる菊の花である。(聞くと菊が縁語になっている) 王室の繁栄を祈る歌

※「菊」の発音はそのまま「きくkiku」であり「ちくchiku」ではないのが湛水流での特徴である。


【03 早作田節 下ゲ出し Hayitsikuten Bushi Saginjashi】

琉歌:深山鴬の 節や知らねども 梅の香ひしちど 春や知ゆる             

歌詞:みやまうぐYいすぃぬ しつぃやしらにどぅむ ツォンツォン

   Miyamauguyisinu shitsiyashiranidumu tsontson

   ん’みぬにをぃしちどぅ はるやしゆる ツォン ヤ ツォンツォ

         N’minuniwishichidu haruyashiyuru tson ya tsontso

歌意:深山に住む鴬は、春の季節を知らないけれども、梅の香いをかいで春を知って啼くのであろう。

※「梅」を楽譜通り「んみn’mi」と表記したが実際は口を閉じたまま歌い出すので「m’mi」の方が近い。ひながな表記で表現するなら「うむみ」と書いた方が直感的かもしれない。

※低音部から歌い出すので「下げ出し(サギンジャシ)」といわれ、前曲「作田節」に続いて演奏されるチラシ。


【04 早作田節 揚ゲ出し Hayitsikuten Bushi Aginjashi】

琉歌:走り川の如に 年波は立ちゅり 繰り戻ち見欲しゃ 花の昔

歌詞:はYいかわぬぐとぅに とぅしなみはたちゅYい ツォンツォン

   Hayikawanugutunyi tushinamiwatachuyi tsontson

   くYいむどぅちみぶしゃ はなぬむかし ツォン ヤ ヤ ハYイ ツォンツォ

        Kuyimuduchimibusha hananumukashi tson ya ya hayi tson tso

歌意:人の年の流れは早いもので、恰度急流の川の流れのようだ。せめてこの人生を繰戻して若い花の時代を再     

   び味うことはできないものか。

※高音部から歌い出すので「揚げ出し(アギンジャシ)」といわれ、こちらも「作田節」のチラシ。


【05 首里節 Shuyi Bushi】

琉歌:ませこまて居れば ここてるさあもの 押す風とつれて 忍でいらな 里が番所

歌詞:ましくまてぃをぅりば くくてぃるさあむぬ ハYイヤマタ ハナヌサトゥヌシヨ

   Mashikumati wuriba kukutirusa amunu hayiyamata hananusatunushiyo

   うすかずぃとぅつぃりてぃ ハYイヤマタ しぬでぃいらな サトゥガヨ バンドゥクル

         Usukajitu tsiriti hayiyamata shinudi irana satuga yo bandukuru

歌意:かこいのような室にひっこもっていると、ゆううつになってたまらない。そよ吹く風と共に殿の宿直室に忍び込んでみたい。


【06 ヂャンナ節 Janna Bushi】

琉歌:上下の綾門 関の戸もささぬ 治まとる御代の しるしさらめ

歌詞:かみしむぬあやじょ しちぬとぅんささん ヂャンナ ヂャンナ ヨ

         Kamishimunu ayajo sichinutun sasan janna janna yo

   をぅさまとぅるみゆぬ しるしさらみ ヂャンナ ヂャンナ ヨ

         Wusamaturu miyunu shirushi sarami janna janna yo

   をぅさまとぅるみゆぬ しるしさらみ ヂャンナ ヂャンナ ヨ

         Wusamaturu miyunu shirushi sarami janna janna yo

歌意:綾門道の上下に建てられた上の門(守礼門)下の門(中山門)の戸を開放にして検問もしないのは、国家安泰の象である。


【07 諸屯節 Shudun Bushi】

琉歌:諸屯女童の 雪の色の歯茎 いつか夜のくれて み口吸はな

歌詞:しゅどぅんみや ハ らびぬ ゆちぬるぬはぐち サトゥヌシ ヨ

   Shudun miya ha rabinu yuchinurunu haguchi satunushi yo

   いつぃかゆぬくりてぃ みくちすわ ン な アリ サトゥヌシ ヨ

         Itsika yunukuriti mikuchi suwa n’ na ari satunushi yo

歌意:歯茎の「くき」は語呂の関係で挿入された語である。「み口吸は」=琉歌唯一のキッスのこと。

   諸屯乙女の雪色のま白な歯なみに魅せられ、早く日がくれてキッスしたいもんだ。

※「や」の次の「ハ」、「な」の前の「ン」が盛彬が奏法解説や記録映像にて説明している付け言葉である。通常の囃子言葉(フェーシ)と異なり、歌唱発声および芸術的装飾のために一文字分程度の存在感となった楽音であり、文法・歌意的には完全に無意味な、表現のための音声といえるだろう。


【08 揚作田節 下ゲ出し Agitsikuten Bushi Saginjashi】

琉歌:面影のだいんす 立たなおちくいれば 忘れゆるひまも あゆらやすが

歌詞:うむかぢぬでんし たたなうちくゐりば わすぃりゆるふぃまん あゆらやすぃが

   Umukajinu denshi tatana uchikwiriba wasiriyuru fiman ayurayasiga

   わすぃりゆるふぃまん あゆらやすぃが

        Wasiriyuru fiman ayurayasiga

歌意:面影さえ立ってくれなければ忘れる暇もあろうに、こんな立ち通しでわ!とたんそくする場面である。

※「作田節」をベースに完全4度上昇(移調)して三線の第二ポジションで演奏した曲。揚げ出し下げ出しのバリアンテに加え、盛彬のいう逆行進行もあり、編曲者(或いは作田節の作曲者か?)の構想の巧みさを伺わせる。


【09 揚作田節 揚ゲ出し Agitsikuten Bushi Aginjashi】

琉歌:朝間夕間通ゆて 見る自由のなれば 見ぼしゃうら辛さ のよでしゃべが

歌詞:あさまゆまかゆてぃ みるじゆぬなりば みぶしゃうらちらしゃ ぬゆでぃしゃびが

   Asamayuma kayuti mirujiyunu nariba mibusha uratsirasha nuyudi shabiga

   みぶしゃうらちらしゃ ぬゆでぃしゃびが

        Mibusha uratsirasha nuyudi shabiga

歌意:朝な夕な通って行って、お会いできる自由さが私にあったら、見たや会いたやを何で致しましょう。


【10 暁節 Akatsichi Bushi】

琉歌:惜しむ夜や更けて 明雲も立ゅり にゃまたいつ拝で 百気延びゅが

歌詞:うしむや ハ ふきてぃ ヨ ティワ あきぐむん たちゅYい ヨ ティワ

   Ushimu yuya ha fukiti yo tiwa akigumun tachuyi yo tiwa

   にゃまたいつぃ ヨ をぅがでぃ ウミンゾ むむち ぬびゅが ヨ

   Nyamata itsi yo wugadi uminzo mumuchi nubyuga yo

歌意:惜しまれる夜もしんしんと更けて、暁近くなったのか明雲も起りそめた。もう又いつ拝顔できて気がのびのびとなれるでしょうか。

※「や」の次の「ハ」は諸屯節同様付け言葉である。盛彬のいう吸音、すなわち息を吸いながら出す歌唱技法が特徴的。後半に少しテンポが速くなることについて「朝日がどんどんと昇ってくる様子を表現したものである」という伝承は興味深い。


<あとがき>

今回の湛水流CDの音源について、盛彬は「私の録音物には弾き間違い歌い間違いもあるから基本は楽譜を手本に稽古すべし」という旨を弟子へ伝えました。しかし楽譜と音源の差異は装飾的な音や表現に多く、肝となる音は同一です。そのため多少楽譜と差異があったとしてもこのCDは湛水流の大筋の歌唱法や奏法、芸術的表現方法を理解するためには非常に重要な音源であるといえます。

実は盛彬出版の楽譜(第6巻)にも少々誤りがあります。盛彬が弟子に伝授した楽譜には朱で訂正が入っていました。現在、盛彬が本当に伝えたかった湛水流は口伝を含め湛水流伝統保存会として伝承されています。




価格:¥4,000(税込)
販売日:2021年3月17日
販売元:日琉芸能プロジェクト
お問い合わせ:nichiryu398@gmail.com ←こちらのメールから直接発送も対応可(銀行振込のみ)
販売:
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2. 音源ダウンロード:https://nichiryu530398.booth.pm/items/3153846
ラベル:三線 古典
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2020年10月01日

【CDその1曲解説・試聴音源】トラック006〜032 ヌール(ノロ)のウムイ

■■収録曲解説、試聴音源および歌詞等■■

トラック006〜032 ヌール(ノロ)のウムイ

沖縄のシャーマン的存在「ノロ(祝女)」が祭祀儀礼の中で謡う歌「ウムイ」。主に村落共同体の安寧や大漁・豊穣などを祈願する内容の神歌です。「オモロ」と語源は同根で「想い」説が通説となっています。


<民芸全4から盛彬の解説引用一部抜粋 p.44-48>

のろは初世紀の頃、民族が漁猟生活から農業の集団生活に移って氏神を祭った時からの祭司であった。古神道と謂われる、固有の民族的宗教である。(p.44)

楽式は一概に雑多で単純な形を備え、三絃楽渡来前の様相を備えている。(p.47)

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※画像は民俗芸能全集第1巻『琉球の音楽芸能史』より


曲の解説と試聴音源

<トラック006〜トラック010 恩納のウムイ>

採譜者 山内盛彬  採譜時歌唱者 根神 屋号前谷茶 津波古かまど 1858生

採譜年 大正の初め頃(出典『琉球音楽史略』山内盛彬1952)  採譜場所 恐らく恩納村字恩納?


006 ヌールのウムイ 恩納 船ウムイ

試聴音源 006 ヌールのウムイ 恩納 船ウムイ試聴用.wav


<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には11番まで記載>

島の国勢頭が 棚取りわ 置ちきおり シュラ アジャーウェヌワーヌーカーミーシューガー

shimanukunishiduga tanaturiwa uchikiori shura ajawenuwanukamishuga


<民芸全4からの解説引用抜粋 p.50>

船の祈願で六月稲穂祭りにのろ根神神人達が謡う曲。





007 ヌールのウムイ 恩納 山ウムイ

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には25番まで記載>

(1)三日日選でぃ 四日日選でぃ (2)天子みたきぬ 桑木ま弓 (3)だしちゃ(※木の名)ま弓 あゆ美らや

 mikabiiradi yukabiiradi amikumitakinu kwaagimayumi dashichamayumi ayuchuraya


<民芸全4からの解説引用抜粋 p.51>

6月穂祭霜月ウンネーウユミに唄う 猪退治の歌





008 ヌールのウムイ 恩納 海ウムイ

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には28番まで記載>

(1)ウーあまんちゅぬヘイ (2)ウーしねんちゅぬヘイ 

 u amanchunu hei u shinenchunu hei

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.52>

霜月ウンデーウユミに謡う 漁りの歌曲





009 ヌールのウムイ 恩納 クヮーシヌウムイ

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には9番まで記載>

ウー ゆいたちゅる たちゅる

u yuyitachuru tachuru

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.53>

六月十一日穂祭の時に謡う





010 ヌールのウムイ 恩納 失題 (盛彬の字で「うちぬうむい」と記載有)

S__1400835.jpg

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には12番まで記載>

やまとぅから 下たる あかわんぬ ぬるわしや
yamatukara kudataru akawannu nuruwashiya

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.54>

失題(うちぬうむい) 一小節毎に軽く合掌する





<トラック011 玉城糸数ノロのウムイ>

採譜者 山内盛彬  採譜時歌唱者 ノロ トーヤマカミ 1863生

採譜年 大正の初め頃(出典『琉球音楽史略』山内盛彬1952)  採譜場所 恐らく南城市玉城字糸数?


011 ヌールのウムイ 玉城糸数のウムイ

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には21番まで記載>

ウリヘイヘイ むかしからあるよーに

uriheyiheyi mukashikara'aruyoni

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.55>
特に記載なし




<トラック012〜023 粟国ノロのウムイ>

採譜者 山内盛彬  採譜時歌唱者 ノロ アギムラ

採譜年 大正の初め頃(出典『琉球音楽史略』山内盛彬1952)  採譜場所 恐らく粟国村?


012 ヌールのウムイ 粟国 トゥチナヲゥリ

盛彬の筆跡で譜面の欠損が補完されていました(音源では反映されていません)

S__1409027.jpg

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には12番まで記載>

エ エ エ きゆぬ ヨ ヨ とぅちなを

e e e kiyunu yo yo tuchinawo

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.56>

作物の祭の歌曲





013 ヌールのウムイ 粟国 キートゥマー

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には104番まで記載>

きゆとぅまや
kiyutumaya

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.56-7>

キートマー(オーヒヤーヒ)※曲名





014 ヌールのウムイ 粟国 ウネージャク

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には58番まで記載>

ウーヘーイ ヘーイ きゆぬとぅきなをー

u hei hei kiyunutuchi nen'yini(※譜面ではnan'yini)


<民芸全4からの解説引用抜粋 p.58>
特に記載なし



015 ヌールのウムイ 粟国 東咲く花

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には12番まで記載>

イ 東さく花
yi agarisaku sakuhana


<民芸全4からの解説引用抜粋 p.61>
特に記載なし


016 ヌールのウムイ 粟国 国御儀式

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には12番まで記載>

エイエ すゆみちぬ ヨ ヨウ みじり クリヒチュチュエドイ
e yi e  suyumichinu yo yo u mijiri kurihichuchu e doyi

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.62>

(東から西に向かって)





017 ヌールのウムイ 粟国 茶ワントゥyイマチー

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には11番まで記載>

ちゃわんとぅい まちが エ ヘシャラフヤフハベルメマタ 
chawantuyi machiga e hesharafuyafuhaberumemata
※譜面上および音源では上記だが、歌詞には「ちゃわんとぅい まちが"に" ヘシャラフヤフハベルメマタ」とある
 歌形が5+4型なので「まちがエ」ではなく「まちがに」のほうが正しいと思われる

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.64>

(東の人東に帰る道中)




018 ヌールのウムイ 粟国 フェーユマー

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には8番まで記載>

ヘユマ ヘユマ きゆとぅまぬ ヘユ ヘユマ
heyuma heyuma kiyutumanu heyu heyuma

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.64>

(立ち別れの曲)





019 ヌールのウムイ 粟国 イスギスギ神ガニー

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には23番まで記載>

イー いすぎすぎかみがに
yi isugisugi kamigani

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.65>

(西の人西に帰る)




020 ヌールのウムイ 粟国 八月のウムイ

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には52番まで記載>

(1)ちゅーとぅまーぬ (2)なまみがーぬ
 chutumanu      namamiganu

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.66>

(坐して唄う)




021 ヌールのウムイ 粟国 アママウフンチュー

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には30番まで記載>

あままうふんちゅが ヨ
amamaufunchuga yo

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.68>

(漁る儀式に立って唄う)




022 ヌールのウムイ 粟国 リーヂ

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には30番まで記載>

ウーヘーイ ヘーイ すゆみちようむりぐゎー
uheyi heyi suyumichiyoumurigwa

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.70>

リージウムイ(ウーヘーイヘーイ)




023 ヌールのウムイ 粟国 途中変曲(リーヂウムイ)

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には72番まで記載>

にしぬひた うらばるに  ※譜面上および音源では「にしぬひた」だが歌詞記載には「にしぬひだ」
nishinuhita urabaruni

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.70>

(途中で曲が変る)





<トラック024〜32 慶良間のウムイ>

採譜者 山内盛彬  採譜時歌唱者 慶良間座間味ノロ(字座間味のウムイのみ)、阿佐と阿真は不明

採譜年 1915(出典『琉球音楽史略』山内盛彬1952)  採譜場所 恐らく慶良間諸島座間味村?


024 ヌールのウムイ 慶良間座間味 ウーヘーyイ

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には54番まで記載>

ウーヘーイ ヘーイ いきぬかふ
uhei hei ikinukafu

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.72>

(正月三日の節句にノロ殿内で唄う)




025 ヌールのウムイ 慶良間座間味 朝カン

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には7番まで記載>

イエイ ヘ ヘ あが アイ り ヘイヘ ヘ だ ハ ち イ う イ フ め 〔あがりだちうめー〕
ieyi he he aga ayi ri heyi he he da ha chi yi u yi fu me

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.73>

(二月麦の穂祭の時、外殿の前で、朝かんの勤めに唄う)




026 ヌールのウムイ 慶良間座間味 夕カン

※音源では盛彬が三線とともに歌っていますが本来はウムイに三線は伴奏しません。
 盛彬は正確な音程を取るための補助として三線を弾いていると思われます。

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には11番まで記載>

イエ へ ませーぬ主 イ フ が イ ハリ アヤ ウ ウェリ 〔ませーぬ主が〕
ie he masenushu yi fu ga yi hari aya uweri

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.74>

(二月麦の穂祭の時、外殿の前で、夕かんの勤めに唄う)




027 ヌールのウムイ 慶良間座間味 ユガノー

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※音源では盛彬は「くぬふばな」のところを「ういふばな」と歌っているようです(画像参照)

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には10番まで記載>

ウ イ フ くぬ フ ま ア ハ てぃ ヘ フ くぬ ふ バ ア ハ な イ ガ ハ 〔くぬまてぃー くぬふばな〕
u i fu kunu fu ma a ha ti he fu kunu fu ba a ha na i ga ha

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.75>

ユガノーウムイ(豊年おもり) (同日殿内の前で朝かんの勤めに唄う)




028 ヌールのウムイ 慶良間座間味 タキネー(盛彬の字で「タキネーイ」)

S__1417248.jpg

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には164番まで記載>

ヘイヘ あまみ ヒ ちゅ イフ が 〔あまみちゅが〕
heihe amami hi chu ifu ga

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.76>

タキネー(イ)のウムイ (同日阿佐殿の前で)  ※画像参照




029 ヌールのウムイ 慶良間阿佐 ンチャーラベー

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には13番まで記載>

イエ ヨ ヘ ハ み八月
ie yo he ha mihachigwachi

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.79>

(阿佐のンチャラビでのおもり)




030 ヌールのウムイ 慶良間阿真 ギレー

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には12番まで記載>

ヘイ ヘ ヘ あ ア イ イ ハ ハ ざ イ ハ ま〔あざま〕
hei he he a a i i ha ha za i ha ma

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.80>

(築殿のおもり)




031 ヌールのウムイ 慶良間阿真 カヤーヌムンニゲー

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には30番まで記載>

いきぬかふ あきぬかふ
ikinuhahu akinuhahu    ※歌詞には「いきぬかふ」とあるが実際の発音は「いきぬはふ」、「か」にルビで「ハ」

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.81>

(大漁の物願い)




032 ヌールのウムイ 慶良間阿真 戻り

<歌詞発音 繰り返しは省略※民芸全4には8番まで記載>

いきぬかふ あきぬかふ
ikinukahu akinukahu

<民芸全4からの解説引用抜粋 p.81>

(失題 帰港のおもり)





首里王府のウムイ(オモロ)5曲のみを音源ダウンロード購入する場合は下記リンクへ

リンクURL:https://nichiryu530398.booth.pm/items/2439883

posted by 530(ゴサマル) at 06:29| Comment(0) | 山内盛彬 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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