前半 3/10〜3/14迄
3/10(土)
ニコニコ動画を通して知り合った某L君のおかげでレンタカーを激安にて貸していただけました。ニコニコのちからってすげー!
これからもよろしくね、L君。沖縄でも東京でも。
そしてこの日国立劇場おきなわで、沖縄伝統舞踊保存協会第二十七回定期公演を観覧。演目としては、一般的な演目一覧+組踊(執心鐘入)。こちらもとあるコネで無料で見せていただいたり、舞台裏まで見学。本当に勉強になります。
そしてそのとあるコネの方と栄町で飲みながら・・・530君が30人くらいお客さん呼べるならライブ手配手伝ってあげてもいいよという!という!
そんなわけで、ニコニコミュニティメンバーが5300人を突破したら、沖縄にてニコニコライブ敢行します!!イェイ!!
その後オフ会できそうな場所を紹介してもらいました。スナックアガパンサス様・・・・スナック。そうです、普通にお登勢さんとキャサリンのようなママがいるスナックです。また530は大人の階段(怪談?)を登りました^q^
それから宜野湾の居候先でオジィオバァとゆんたく。その後、寝ようと思ってたら沖縄の友人からゆんたくしようぜと0:00にTelが入ったので夜遊びしたりして。
三線の練習をするために、居候先にあった(十年近く使われていない;ω;)三線をお借りしました。
3/11(日)
本当は日曜日にオフ会やりたかったんですけど、3/11ということで皆さん忙しいでしょうということでやめましたということで。
なんとなしに普天間宮に行ってきました。沖縄にある神社も興味深い・・・琉球八大社ということで、霊験あらたかでございました。
そして王府おもろ主取子孫安仁屋先生の御宅にご挨拶と思ったらいらっしゃらず、博物館におられると聞いておもろまちへ。
そこでは『劇場と社会』というコンペティションが開催されており、著名人・研究者の方々が琉球芸能における舞台装置と芸能の関係について喧々諤々の議論を飛ばしており、刺激になりました。
私見なんですけど、沖縄の人は精神論に走りやすく、議題の本質を見逃しやすい。それに対して本土の研究者はいらだちを隠せていないという構図でした。将来的にボクみたいなのが、つまり生まれ大和の血がうちなーの人間が、彼らの仲介・翻訳的役割を演じられたらなと思いました。
具体的なお話を一つ。組踊はもともと首里正殿御庭の、冊封史歓待の儀であり、そこでは正方形の仮設舞台が設置されたと記録されています。ゆえに、組踊は、能楽堂のような舞台で踊るべきではないか、というお話があります。しかしながら、組踊のために与えられた国立劇場おきなわは所謂普通の舞台。舞踊の所作も変わり、これは本当に組踊なのか、と国内的には疑問視される始末です。ユネスコに納得してもらえる形で芸能研究および芸事の上達を目指す必要があるのですが、ともに資金不足・人手不足だそうで。大和人からしたら、正直組踊が消えようがなにしようが歴史の流れだろうとか言って事を重く受け止めることはないでしょうし、沖縄の人も実際なくなったらなくなったで「しかたねーらん」とか言ってしまいそうです。そんな中、本当に組踊を伝統芸能として保護する必要はあるのか、という根本的な話になってしまいました。これは組踊が沖縄でもそこまで人気ではないという理由があります。(他にももっとおもしろい芸能はたくさんあるからです)シンプルなんですが、大きなテーマです。
もう一つ。古典とは洗練である。故に組踊を観客にわかりやすく、そして面白いと思ってもらうような迎合はすべきではない。それは琉球芸術への冒涜である。観客側から理解する努力が存在しなければそれは古典芸術ではない。よって、新作組踊なるものが流布しているが、これはもはや組踊ではなく別ジャンルのなにかであるから、わざわざ組踊という名や技に拘る必要はない。
上記は討論の中で出たお話ですが、なるほどと思いました。
そして討論会が終わって帰って三線練習して寝ました。
3/12(月)
まず上原直彦著「琉歌百景」をサンエーにて購入しました。これは布石です。この日から毎日勉強しました。
そしてコザへ行き照屋楽器店で林次郎さんに三線を直してもらいました。それからパークアベニューのチャーリー多幸寿で仲宗根創君とタコス!
コザをホロホロソーンしてから、また照屋楽器に行って、林助さんの娘さんにあたるお母さんといろんなことをゆんたくしました。盛彬が林助氏にヒヤミカチ他色々手習いを施したことや、仲宗根君が小学校の時にCDを出すのを照屋家がお手伝いしたとか。照屋家にあった盛彬の写真を4枚後日郵送にていただきました。
ちなみに仲宗根君のブログ!→http://hajime34utaifukui.ti-da.net/e3373703.html
写真を撮らない性格があだになってる本記事でございますorz仲宗根君のブログから見てください。
それから仲宗根家にお邪魔し、民謡を手習いしてもらいました。でーじ勉強にないびーたん。唐船どーいを弾いてたら仲宗根家のお婆様がカチャーシーしながらお茶菓子を持ってきてくれました(笑)
その後安仁屋先生のCARに便乗させていただき首里公民館へ。安仁屋先生によるおもろ講座を受けました。3/18(日)に斎場御嶽で儀式があるとのことで、御新下りに関係するおもろを二首詠んで頂きました。そしてなぜか僕によるヒヤミカチ節演奏。受講者のおば様方は皆さんさんしんの日のラジオを聞いていたり、沖縄タイムスの記事を読んでいたらしく、なんか有名人になった気分でした。
ちなみに沖縄タイムスの記事→http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-02_30528/
居候家に戻りまたゆんたく。(ゆんたくは最低一時間はしてます)そして睡眠。
3/13(火)
湛水流伝統保存会会長上里氏に手習いを受けました。氏は山内盛彬翁の孫弟子にあたり、故祖慶剛先生の弟子にあたります。そんな方から僕は人生最初の三線をいただいたわけです。今でも大切に弾いております。しかして野村流古典音楽保存会新人賞課題曲伊野波節を手習いさせていただきました。
その後、なぜか居候先のお母さんが勤める公民館でのミニデー(老人サークル的なもの)で三線を披露。実力不足を痛感いたしましたが、オバァ様たちはカチャーシーになるとしっかりした足取りで踊ってくれました。
この後、首里の公民館で首里言葉講座を受けるつもりだったんですが疲労困憊で爆睡しました。
3/14(水)
生田流山内貴裕先生の稽古場にてヒヤミカチ節他手習い、というか一緒に弾いてもらいました。
ちょっと話は変わりますが、山内盛彬翁のふりがなですが、沖縄紙面では「ヤマウチセイヒン」となることが多いです。実際、沖縄読みをしたら「ヤマチセイヒン」なのですが、翁は「ヤマノウチモリアキラ」と呼び方を自身で変え、後代戸籍まで変更しています。察するに、当時東京で生活するにあたり沖縄名より土佐大名山内(ヤマノウチ)の名を借りたほうが都合がよく、本人としてもかっこいいと思ってたのではないかと思います。名前というのは、当然ですがアイデンティティ形成に重要な役割を持ってるわけでして、当時の沖縄人の意識の一旦を垣間見せてくれます。
その後、ようやっと安仁屋家にお邪魔しました。王府最後のおもろ主取安仁屋真刈翁の屋敷跡にあるおもろ神の前で安仁屋先生よりおもろ手習いを受けます。実はこの場所で丁度百年前、ここで安仁屋真刈翁は山内盛彬におもろを伝承されたわけです。
後半へ続く!
2012年04月16日
2012年3月10日〜21日沖縄旅行日記
2010年09月21日
沖縄五日目
8/26(Thu)晴れ
さすがに爆睡・・・ほとんど三日間寝てなかったんで・・・しかし、沖縄には寝る暇を惜しんでも居たい。
今日の午前中はとりあえず親戚家で三線の練習・・・おじいは上手と褒めてくれましたが、正直まだまだです・・・師匠、もっと練習します。
昼ごろ、沖縄の三線の先生のところへ。上里平三先生といい、古典音楽界では非常に有名な三線の先生で、後援会にひっぽり蛸だそうです。
この方から僕の最初の三線を頂きました。沖縄の人は気前がいいとは言うけれど・・・三線くれるとか・・・今考えると恐ろしいです(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
そこで挨拶と、野村流の着物をどこで買えばいいか聞きました。
国際通りの中央辺りから分岐がある「平和通り」内にある「公設市場」の中の呉服店へ。
そこで一式購入・・・これを着て舞台・・・ちなみに、初舞台は12/19です。野村流関東支部の内内でやると思います。
さて、やることやって、今回の旅の目的のメインイベント!組踊(くみうどぅい)を見に行きました!!
組踊とは、簡単に言うと沖縄版歌舞伎です。歌舞伎よりはオペラ的要素が多いと思います。
有名なものに、護佐丸・阿麻利の話で「二童敵打」があります。前にいった中城・勝連のところで触れましたね。
ですが、今回は、これも有名なんですが、「執心鐘入」を見ました。
ストーリーをあえてネタバレします!!
そうしないと、正直見てもよくわからないです(^^;
主人公中城若松(なかぐすくわかまつ)は、奉公人であったが美少年であった。ある時、首里に出張となり、赴くが途中で日が暮れる。夜道に野宿するのは心もとない。そこへ一軒の家が。
家の人にお願いして一泊させてもらおうとするも、中にいたのは若い女一人。女はしぶしぶ若松を招き入れる。
しかし、女は会話をするうちにその男があの美男子「若松様」であると判る。※夜なので暗くて顔は見えません。
そこで女はなんとかものにしようと若松に執拗に迫るが、若松は無視して寝ようとする。
翌日、出立となるが、女はどうしても若松と離れたくない。若松が女の手を振り切り、その場から立ち去ろうとするが、後ろから女が追いかけてくる!!
若松は近くにあった寺へ逃げ込んだ。そこで和尚に「鐘の中に入ってやり過ごしなさい」といわれ、隠れることに。
後から女もやってくる。三人の坊主に制せられるも進入(※当時、寺は女性の来る場所じゃありません)。若松は隙を見て逃走。
しかし、そこに若松がいたであろうことに気づいた(?)女は鬼に変化!!
え・・・?
そうです。女は一瞬にして般若の形相を呈すのです。この辺りの舞踊家の演技がすばらしかったです。
さてさて、鬼が坊主達に襲い掛かる!すかさず和尚がお経を唱え激しいバトルに突入!
さて、ようやく鬼を調伏してHAPPYEND(?)で終劇となります。
すごいストーリーだな
ちなみに、国際通りの「てんぶす会館」で見ました。一階にローソンとかラジオ局とか入ってる建物です。
記念写真

その後、T君と彼女と、タコライスのおいしいお店「きんたこ」に行きました。銀だこじゃないですよ、きんたこですよ。
「キングタコライス」の略です。

そして帰宅し就寝・・・いろんな夢が見れました。
沖縄六日目8/27(Fri)曇り
この日は一日移動で終了。東京に荷物いっぱい、思いでいっぱいで帰ってきました!
さすがに爆睡・・・ほとんど三日間寝てなかったんで・・・しかし、沖縄には寝る暇を惜しんでも居たい。
今日の午前中はとりあえず親戚家で三線の練習・・・おじいは上手と褒めてくれましたが、正直まだまだです・・・師匠、もっと練習します。
昼ごろ、沖縄の三線の先生のところへ。上里平三先生といい、古典音楽界では非常に有名な三線の先生で、後援会にひっぽり蛸だそうです。
この方から僕の最初の三線を頂きました。沖縄の人は気前がいいとは言うけれど・・・三線くれるとか・・・今考えると恐ろしいです(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
そこで挨拶と、野村流の着物をどこで買えばいいか聞きました。
国際通りの中央辺りから分岐がある「平和通り」内にある「公設市場」の中の呉服店へ。
そこで一式購入・・・これを着て舞台・・・ちなみに、初舞台は12/19です。野村流関東支部の内内でやると思います。
さて、やることやって、今回の旅の目的のメインイベント!組踊(くみうどぅい)を見に行きました!!
組踊とは、簡単に言うと沖縄版歌舞伎です。歌舞伎よりはオペラ的要素が多いと思います。
有名なものに、護佐丸・阿麻利の話で「二童敵打」があります。前にいった中城・勝連のところで触れましたね。
ですが、今回は、これも有名なんですが、「執心鐘入」を見ました。
ストーリーをあえてネタバレします!!
そうしないと、正直見てもよくわからないです(^^;
主人公中城若松(なかぐすくわかまつ)は、奉公人であったが美少年であった。ある時、首里に出張となり、赴くが途中で日が暮れる。夜道に野宿するのは心もとない。そこへ一軒の家が。
家の人にお願いして一泊させてもらおうとするも、中にいたのは若い女一人。女はしぶしぶ若松を招き入れる。
しかし、女は会話をするうちにその男があの美男子「若松様」であると判る。※夜なので暗くて顔は見えません。
そこで女はなんとかものにしようと若松に執拗に迫るが、若松は無視して寝ようとする。
翌日、出立となるが、女はどうしても若松と離れたくない。若松が女の手を振り切り、その場から立ち去ろうとするが、後ろから女が追いかけてくる!!
若松は近くにあった寺へ逃げ込んだ。そこで和尚に「鐘の中に入ってやり過ごしなさい」といわれ、隠れることに。
後から女もやってくる。三人の坊主に制せられるも進入(※当時、寺は女性の来る場所じゃありません)。若松は隙を見て逃走。
しかし、そこに若松がいたであろうことに気づいた(?)女は鬼に変化!!
え・・・?
そうです。女は一瞬にして般若の形相を呈すのです。この辺りの舞踊家の演技がすばらしかったです。
さてさて、鬼が坊主達に襲い掛かる!すかさず和尚がお経を唱え激しいバトルに突入!
さて、ようやく鬼を調伏してHAPPYEND(?)で終劇となります。
すごいストーリーだな
ちなみに、国際通りの「てんぶす会館」で見ました。一階にローソンとかラジオ局とか入ってる建物です。
記念写真

その後、T君と彼女と、タコライスのおいしいお店「きんたこ」に行きました。銀だこじゃないですよ、きんたこですよ。
「キングタコライス」の略です。

そして帰宅し就寝・・・いろんな夢が見れました。
沖縄六日目8/27(Fri)曇り
この日は一日移動で終了。東京に荷物いっぱい、思いでいっぱいで帰ってきました!